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「
連れ
て
こ
られた
人々
」
訪問
研究
員
の
コーヒー
モーニング
の
後
は、
大学
会館
の
食堂
で
大挙
して
お昼
を
食べる
。20〜30
人
のオバサマ
方
が
揃っ
て
食事
をする
の
だから
壮観
である。
コーヒー
モーニング
の
時
は
いろいろ
な
話
の
輪
が
くっつい
たり
離れ
たり
の
立ち話
だが、
食事
の
時
は
カフェテリア
の
支払い
が
済ん
だ
順
に
来
た
順
に
席
に
座っ
て
いく
ので、
思いがけない
組み合わせ
に
なる
こと
もある。
先日
は
地元
の
世話
役
の
イギリス
人
の
老婦
人
と
隣
あわせ
に
座っ
た。
簡単
に
名前
を
紹介
し
あっ
た
後
、“What has brought you here?
″
と
聞か
れた。
え
、
何
が
運ん
だって?
思わず
聞き返す
と、
どうして
ここ
に
来
た
の
かと
言う
意味
だと
教え
て
くれ
た。
直訳
すると「
何
が
あなた
を
ここ
に
連れ
て
来
たの?」。
面白い
言い回し
だなと
思い
つつ「
私
を
ここ
に
連れ
て
き
た
の
は
夫
の
仕事
。」と
答える
と、「
ここ
にいる
女性
は
みんな
そう
よね。」と
笑っ
た。
実際
、
訪問
研究
員
の
妻たち
は
夫
の
異動
に
伴っ
て
自分
の
仕事
を
辞め
て
き
て
いる
人
も
多い
の
だが、
受け入れ
側
の
イギリス
人
にしろ、
初め
から
ケンブリッジ
に
住ん
で
い
た
人
は
少ない
。
結婚
した、
あるいは
夫
が
ケンブリッジ
大学
で
職
を
取っ
た、
さまざま
な
理由
で
ここ
に
移り住ん
だ
の
だ。
そして
新た
な
仕事
を
見つけ
たり、
ボランティア
として
訪問
研究
員
の
世話
を
焼い
て
いる
、という
わけ
だ。
そういう
意味
で
私
たち
は「
連れ
て
こ
られた
人々
」である。
一方
、
自分
の
意志
で
ここ
に
来
て
いる
人
もいる。
会社
を
辞め
て
語学
研修
に
来
た25
歳
前後
の
女性
達
なども
その
なか
に
入る
。
新しい
年度
が
始まっ
た
9月
、
あい
前後
して「
連れ
て
こ
られた
人々
」と「
自分
の
意志
で
来
た
人々
」である
日本人
女性
達
に
知合っ
た
の
だが、
およそ
半年
経っ
た
つい
最近
、
しばらく
御無沙汰
して
い
た
その
人達
と
再会
する
機会
があった。
世間話
などをしながら
聞く
とも
なし
に
彼女
たち
の
英語
を
聞い
て
い
た
ところ
、「あれ?」と
思っ
た。「
自分
の
意志
で
来
た」
人達
が
半年
経っ
ても
しどろもどろ
して
い
たりするかと
思え
ば、
初めて
会っ
た
時
は「
全然
しゃべれ
ない
の
で…」とか「
英語
は
昔
から
苦手
で…」などと
とい
って
い
た
小さい
子
を
持つ
お母さん
が、
英語
で
意志
の
疎通
をして
いる
。
発音
や
難しい
文法
は
ともかく
、「
連れ
て
こ
られた
人々
」の
方
が「
通じる
英語
」を
話し
たりして
いる
の
だ。
確か
に
語学
学校
は
周囲
も
英語
を
学び
に
来
て
いる
外国
人
だし、
教師
と
ホストファミリー
以外
に
ネイティブ
スピーカー
に
接する
機会
は
あまり
ない
の
が
現実
である。
ホストファミリー
の
受け入れ
態勢
によっては、
単なる
間借り
人
と
化す
場合
も
多い
らしく、
必ずしも
英語
を
話す
機会
があるとは
限ら
ない。
本人
達
も
なんとなく
語学
の
上達
を
待っ
て
いる
節
もある。
一方
、
小さい
子ども
のいる
人達
は
いや
でも
地域
と
関わら
ざるを
得
ない。
ケンブリッジ
には
日本人
学校
はないし、
学校
の
送り迎え
は
保護
者
がしなくては
なら
ないので、
勢い
子ども
を通して
現地
の
人々
と
接する
機会
が
増える
。
初め
の
頃
こそ
夫
を
頼り
にして
いる
かも
しれ
ないが、
そうそう
あて
にする
わけ
にも
行か
ない。
好む
と
好ま
ざるとに
関わら
ず
英語
を
話さ
なくては
なら
ない
の
は、
実は
こうした
女性
達
な
の
だろうと
思う
。
英語
の
上達
など
待っ
て
い
られない
の
だ。
子ども
が
熱
を
出し
たら
病院
に
行か
なければ
なら
ない。
病院
にいっても
勝手
に
いろいろ
な
検査
や
注射
などされない
よう
に
主張
しなければ
なら
ない。
ケンブリッジ
の
人々
は
外国
人
の
英語
に
慣れ
て
い
て、
たどたどしく
ても
聞き取っ
て
くれる
せい
もある
の
だろう、「
話す
こと
」に対して
果敢
な
の
である。「
我が
子
を
守ら
なくては」という
強い
意志
が
働い
て
いる
の
だ、とある
人
は
言っ
て
い
た。
もちろん
こうした
集まり
に
出
て
くる
という
こと
す
ら
、
すでに
果敢
な
の
だろうとは
思う
。
奥
に
引き
篭もっ
て
決して
表
に
出
ない
人
がいる
こと
も
想像
に
難く
ない。
言葉
の
不自由
の
ない
はず
の
アメリカ
人
で
す
ら
、
家
に
孤独
にして
いる
という
話
を
聞く
し、
それ
は
人
による
の
だと
思う
。
しかし
それにしても
せっぱ詰まっ
た
目的
がある、という
こと
は
何
物
にも
代え
難い
原動力
な
の
だと
感心
する。
母
は
強し
である。
(c) reikona
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