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チュウ太のウィーン日記 |
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2001年1月16日 火曜日
授業がはじまるや、学生がちょっと照れながら、小学生宛の手書きの手紙を差し出してくれた。実は先週の授業で一人一人に小学生達からの手書きの手紙を手渡したのだが、それへの返事である。この手紙は昨年末、岡先生が日本から送ってくれたものである。原稿用紙に一字一字丁寧に書かれた手紙、しかも似顔絵やちょっとした挿し絵が入ったものを受け取った学生達は嬉しそうだった。メールによる手紙の交換は返事がすぐ届くという点ではすばらしいが、相手の存在を感じるという点では手書きに勝るものはない。ちょうど冬休みの間に、すてきな「お年玉」が届いていたというわけだ。 その時「せっかくだから、みんなも手書きで御返事を出したら?」と呼びかけたところ、「えー。ワープロじゃだめですかー。はずかしー。」という思いがけない反応が返ってきていた。そうか、非漢字圏の学生にとって日本語を「書く」ということは別の意味を持っているんだ!この授業がパソコンを使って日本語を学ぶという形だったためうっかり見過ごしていた「文字を書く」という行為自体の大切さを改めて気づかされた。教師以外の日本人に向けて、つまり外に向けて日本語を書くという作業もまた大きな意味を持つに違いない。いい機会なので是非とも返事は手書きで出させたいと心密かに思いつつ、「きっと喜ぶと思うな。返事を書いて持ってきてくれたら送るからね」とさりげなく答えておいた。さて何人書いてくるかなと心配していたのだが、それぞれきれいな読みやすい字で返事を書いてきた。自分たちの肉筆が相手に届くのは、なんとなく気恥ずかしいが、まんざらでもないという様子だった。 さて、今日の授業では、各人の書いてきた意見文を読みあい、互いにコメントしあうという作業を中心に行う。自由にコメントができるように、あらかじめ各人の文章(A4)の横に白い紙(A4)を張り付けたものを準備した。先週のT君はみんなのコメントを聞いて書き直したものを提出してくれたのでこの修正版を使うことにした。 友人の意見文を読んで「よい点」と「直すともっとよくなる点」をコメントするという形は手紙文のときに行っている。「他の人の意見文を読んで」と言いかけると、「よい点と、それから、直すともっとよくなる点」と学生のほうから続きの言葉がでてきた。(にこっ。)そして今回は、コメント作業を始める前に「どんな意見文がいい意見文か」について形と内容の両面から皆で考えることにした。学生からは次のような意見がでてきた。
これだけ出てくるということは、みんなそれなりに考えて書いてきたのだろう。では、実際に書かれたものをどのようにコメントしていくのだろうか。 実際の作業にとりかかると教室はしーんと静まりかえった。それぞれが友人の意見文を真剣に読んでいる。作業の途中で一人の学生から「先生、この意見文は他の意見に対しての反論ですから、元の文を読まないとわかりません」と言われ、あわてて元の意見文を印刷しに行く。欠席の学生が2名いたため、彼らの分は早く終わった学生にコメントしてもらうという形をとり、それぞれの意見文に対して2〜3名のコメントがつけられるようにした。 学生達のそれぞれのコメントは非常に的を得たものであった。それぞれのよいところを見つけた上で、相手を気遣う心配りをしながら、「結論部分がもう少し詳しいといいと思います。」「意見文の内容はとてもいいので、段落を区切ったらもっとよくなると思います。」「最後に具体的にどうやったらいいかが書いてあるともっといい。」といった形でそれぞれにコメントがつけられていた。中には「最高です。問題はありません。」というコメントがついてしまう場合もあったが、それに対しては「必ず何かあると思うので、改善提案を考えてください」と差し戻しした。学生のコメントが一通り終わった段階で私からもそれぞれに一言ずつコメントを書き、各自に戻した。学生には来週までに自分の意見文にもう一度手を入れてくるようにという宿題を課した。 ある学生の出した文章には「意見文の形とは違うけれど、これは意見文ではなくて報告文なので、内容も面白いし具体的だし、これでいいと思います。」というコメントがつけられていた。ところが書いた本人は「時間がなかったので、適当に書いちゃったけど、意見文に書き直してきます」と言ってきた。他人の文章をプラス評価するというコメント方法であっても、書いた本人には問題点がわかる場合もある。また友人の文章を読むことで、自らの書いた文章を客観的に評価することも可能になるはずである。そう信じて、これまでの作文指導でも、互いにまずよい点を評価させ次に改善提案を行うという形をとってきたわけだが、来週にでも他人の文章を読むことの意味について実際に学生達がどう感じたか聞いてみたいと思う。 ☆一言メモ☆ 友人の文章に対してのコメントという作業にも、学生達は真剣に取り組む。しかも相 手を気遣いつつ、貴重な助言を行うことができる。互いに学びあうというこの作業の 意味を学生達が肯定的に受け取っていてくれることを願う。 |
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