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チュウ太のウィーン日記


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2001年3月13日 火曜日

今日の顔ぶれは?とクラスのドアを開けてみると、先週とは様子ががらっと異なり、オーストリア人4名が並んで座り、日本人学生の数は2名のみだった。前回「このクラスは自分には難しすぎる」と言っていた学生からは「残念ながら今日は出られないが来週は来る」という伝言がはいった。今日の顔ぶれを見れば、もっと安心しただろうに。

さて、今日の授業では教材バンクに新たに加わった「日本語学習者の作文集(英語版)(ドイツ語版)」の中の意見文を扱う。今学期はじっくり意見文を読んだ上で反論を書く練習を行い、さらにその発展として各自の意見文を書く予定である。教材バンクには「死刑廃止」に関して賛成・反対各々の立場の意見文が収められている。各々の意見文の論の進め方を読みながらどのような意見文がいいか皆で考えていくことにしたい。

今日取り上げたのは死刑廃止に対する賛成意見「死刑廃止4(賛成)」(英語版)(ドイツ語版)である。授業の後半でチュウ太を紹介する予定なので、まず、この文を印刷教材として配布した。意見文の下には難しそうな単語をリストの形で印刷しておいた。学生達の反応も見たかったので何も言わずにプリントを配布したところ、さっそくリストの単語の意味を辞書で調べ始めようとする学生がいる。辞書を引こうにもひけない語は隣の日本人学生に読み方を聞いている。この熱心さには頭が下がる。

学生達の関心が語彙リストに集まったので各々の語の読みと意味を考える作業から授業を始めた。リストの語句は次の通りである。

死刑・廃止・平等・法律・賛成・不完全・判決・弁償・奉仕・執行する・犯罪者・職業。

一斉授業の前にこれらの単語の読みを書かせると、4名のうち2名は確実に読める語が3分の1という状態だった。ところが彼らには読みがわかっただけで意味が分かってしまう語がいくつも存在していた。例えば「廃止」「賛成」「犯罪者」などは読みを黒板に書いた段階で意味がわかる。つまりこれらの単語を「音としては知っていた」わけである。こうした学生には各々の語の読みの情報だけでもかなり大きな助けになる。この2名のうちの1名が、前期の最終授業で「チュウ太を使わないJapanologieの勉強は考えられなくなってしまった」というコメントを書いた学生である。日本語学習歴は2年と数ヶ月に過ぎないというのに非常にきれいな日本語を話す学生だが、その日本語力は耳で覚えたものが大半だったというわけである。彼がチュウ太を大切に思ってくれるその理由を再認識した次第である。

非漢字圏の学習者にとってチュウ太の辞書ツールは単語の意味情報を示すことだけなく、読み情報を示すことそれ自体で十分読解支援になりうる場合も多いのだ。こうした学習者にとって読みがわかることは文章理解の助けになるとは頭では分かっていた。そこで彼らに対しては漢字ハンディキャップを少しでも減少させるために試験問題にルビ振り問題を使ったりもしてきた。また、チュウ太のツールの一つとしてふりがな機能だけを備えたふりがなツールも提供してきた。しかし非漢字圏学習者の現実、彼らの中には漢字の読みさえ分かれば文章全体の意味までほぼ完全に理解可能な場合があるという認識はまだまだ十分でなかった気がする。こうした学習者、つまり日本語を耳で覚えた学習者にとっては、例え個々の漢字の読みや意味を知っていたとしても、並んでいる漢字熟語の読みや意味を一つずつ見当つけながら読解していくのはやはり至難の業である。日本語を母語とする子供達が漢字を知らなくてもルビさえ振ってあればかなり難しい文章でもほぼ理解できるように、非漢字圏学習者にとってもふりがな機能が果たしうる役割は私がこれまで考えていた以上に大きそうだ。是非ともきちんとした調査を行うとともに、非漢字圏学習者のための読解支援のあり方をもう一度考え直してみる必要性を痛感した。

意見文そのものについては自分たちと同じ日本語学習者が書いた文章だということもあるのか皆熱心に読んでいた。構文もやさしいしわかりやすい文章である。「自分の親しい人が殺された場合、その犯人を殺したい気持ちは十分分かる。でもその犯人を死刑にしたからといって、得るものは何があるのか。」という部分では学生達は多いに共感していた。さらに「死刑と言う判決を下すのは人間である。」だから「間違って死刑」ということもあり得るという論の展開にも皆賛同していた。ところが肝心の結論部分で「死刑よりももっといい方法をさがさなければならないと思う」という考えはいいのだが、具体的な方法が言及されていないという指摘があり、ではどのようにしたらいいのかがディスカッションのテーマとなった。

終身刑という方法があるという一人の学生の意見に対して、オーストリアでは刑務所の生活は必ずしも悪くない。浮浪者の中には寒さが防げ食べ物ももらえるとあって、寒さの厳しい冬だけ敢えて罪を犯して刑務所に入る人もいるくらいだという話まででてきた。結論としては「死刑」を執行するぞと脅しながら実際には執行しないというのが死刑にあたる罪を犯した犯人に対する一番いい刑罰だろうということになったが、ともかく日本語で書かれた意見文を読みながら、その問題点を的確に見つけだす読解力はなかなか大したものだ。

今回の意見文で文法項目として取り上げたかったのは「死刑にされてもしかたがないと言う人に、死刑と同じぐらいの苦しみをあげたら。」という部分である。ほとんどの学生は作者の書こうとしていた意味を読みとり、それでよしとていたが、この文を読んだ途端に首を傾げた学生がちゃんと一人いた。すかさず、「何か、変?」すると、「あのー、ここで『あげたら』は使えますか?」と聞いてくる。きちんと「刑をあげる」という表現が変だと指摘してくれる学生がいるのは頼もしい。「ちょっと変ですよね。でもどうしておかしいんでしょう?」と導入して急遽「やり・もらい」の復習を始める。ウィーン大学の学生達はどこまで習っているのだろうか。

学生達は「授受動詞」が、基本的には恩恵行為の授受に対してのみ用いられると言うことは何となく理解してしたようだ。ところが「くれる」と「もらう」の使い分けについては今ひとつ納得していなかった。ものの移動の方向ではなく主語が問題となっているのだということを図を使って説明する。また、では恩恵が関わらない場合はどのように表現したらいいのかと聞くと答えがない。「死刑と同じくらいの苦しみを」と板書して、しばらく待っていたところ、ここに適切な表現「与える」をはめ込むことができたのは、日本人の学生だった。ところがその途端オーストリア人の学生から恩恵が関わらない場合、「もらう」「くれる」の各々はどのように言えばいいのかという質問がでてきた。学生の関心がこちらに向いてくれればしめたものいろいろな例文を出しながら各々の場合でどのような表現が使われるか一緒に考えることにした。

最後の15分間はパソコンルームに移動し、まずチュウ太を開け、教材バンクに今日の教材も入っていることを確認した。しかも辞書はドイツ語版もそろっているとあって、今回初めてチュウ太に接する学生達はとても喜んだ。特に自己紹介で「僕は日本語はまあまあ話せますが、漢字は駄目です。」と言っていた学生の嬉しそうなこと。そして即座に「あのー、ここにある文章以外の文にも辞書が使えますか?」と反応してきた。横から一人の学生が「使えるよ」と一言。「英語の辞書でいいならネットの文でもメールの文でも大丈夫ですよ。来週紹介しますね」ということで授業を終えた。

来週は「死刑廃止」に対する反対意見を読む予定である。教材バンクを使って予習してくることを宿題にした。

☆一言メモ☆

非漢字圏の日本語学習者の場合、個々の漢字からは意味が類推できなくても読みが分かるだけで意味が分かる語も多い。ふりがなツールや辞書ツールの果たす役割をあらためて考え直してみる必要がある。


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